Wednesday, 23 April 2008

Tadanori Yokoo, artist



I had been hoping to interview the artist Tadanori Yokoo face-to-face with the help of an interpreter, but that didn't work out, so, instead I submitted questions in Japanese by email. Unfortunately, Mr. Yokoo's answers reached me too late to be translated into English and used in my article. One day I'll post the interview in English, but, for now, here it is in Japanese. I wonder if this will be a case of 'lost in translation'...



CBL: 最近の作品の多く(少年達が何かを見つめている姿が描かれている作品)は無邪気さと冒険心のテーマをもっているように思います。なぜこのようなテーマが今、貴方にとって重要ですか。貴方の歳と関りがありますか。

TY: ぼくの絵画に登場する少年達は十代に読んだ冒険小説や探偵小説に登場する少年達である。ぼくの人格を形成した十代の様々の出来事に彼等も大きい影響を与えました。 そしてぼくの創造のインスピレーションの源泉の大半は十代の経験や思索や記憶が忠心になっています。それは年齢を加えるに従って大きくなっています。十代に対する想いは郷里に対する想いでもあります。十代に経験した恐れ、不安、希望、夢、または他の不透明なもの(前近代的、土着的なもの)が無意識の中に沈澱していますが、それらを創造行為によってひとつづつ吐き出すことがぼく自身の近代の超克でもあったのです。だから何度も何度も反復するのです。

CBL: 冒険とはどのような事を意味するのですか。「愛の回想」のように多くの作品から、私は冒険とは無邪気さや性的知識を失う事と同じだと感じます。

TY: 冒険は肉体を通して異界と接触する行為です。そのことによってこの現実と分離したもうひとつの現実を認識するためでもあります。つまり現実の拡張です。また自分自身の領域の拡張でもあります。「私」という存在は謎に満ちています。「私は一体誰なのか?」というぼく自身への疑問でもあります。それを生の側から見るだけではなく死の側から見ることも必要です。冒険は常に危険と隣り合わせです。安全な場所からではなく危険な場所に足を踏み入れることによって本来の「私自身」(それを魂と呼んでもいいかも知れません。)と遭遇するためです。あなたは冒険によって無邪気さや性的知識を失うとおっしゃっていますが、それは逆です。冒険の中には子供の持つインファンテリズムがあります。この少年性(幼児性)はひとつのテレビであると同時に一方では残酷性も所有しています。このインファンテリズムこそ芸術家の創造の核になっています。ぼくは少年の無邪気さの中に解放された、または閉鎖された性的な感情を感じます。

CBL: 私は貴方の絵画を拝見しながらフロイドを思わずにいられません。例えば、水、危険、そして性的欲望の結合です。また、ターザンとワニの闘いは性的欲求の抑制の試みを表現しているように見えます。そのようなフロイド派の解釈はどの程度、正当でしょうか。

TY: ターザンのワニの闘いは性的欲求の抑制というより解放を意味します。または自分の中に存在する自我との闘いかも知れません。自我が人間を解放し、自由を獲得するかも知れませんが、ぼくはその自我をもっと解き放って、最終的に自我を解消させることを望んでいます。ぼくにとって創造は自我が入口かも知れませんが、また自我が出口でもあります。

CBL: なぜ、しばしば同じ素材を繰り返し引用するのか教えてください。例えば、「よだれ」は「香港1997」や「エルザの叫び」などで後に使われています。また、三島由紀夫も多く使われています。それはどのような目的がありますか。

TY: ぼくの反復は時間を表わしています。かつて時間は静止していると考えていました。しかし近代になって時間は流れ始めました。ぼくの反復は、昨日の時間は今日の時間に反復し、それがまた明日に反復するという時間論でもあります。

CBL: なぜ今回の展覧会に於いて、ルソーをパロディー化する事になったのですか。

TY: ルソーはぼくにとって無意識の表象でもありました。しかし一般的にはルソーの作品は素朴であるとか、夢であるとか、楽しいという風にとらえています。ぼくは決してそのように見えません。ぼくはルソーの絵画に隠蔽された(ルソーが描かなかった)無意識のさらに奥にひそむ怒り、恐怖、残酷、不安、笑いを引き出したかったのです。実はルソーのあの素朴な夢のような絵の背後に隠されている謎を引きずり出してみたかったのです。こうすることによってルソー芸術を批評したかったのです。絵画による絵画批評の試みです。



Wednesday, 9 April 2008

Jamie Reynolds [Klaxons]


I interviewed Jamie Reynolds out of the Klaxons on a very bad line on the 11th of September. 2007. I spoke to him for around half an hour, but I have only transcribed about 20 minutes of the interview. In a typically confident, literate, eloquent, and well-rehearsed interview performance, he only saw the need to namecheck this blog once - a record low for a native English speaker.

Sugar [Bob Mould, David Barbe, Malcolm Travis]


In 1992, while visiting the offices of the rock magazine "Riff Raff," I was suddenly asked to do an interview with the band Sugar, regarding their forthcoming album "Copper Blue." I agreed to help out, even though I knew zilch about the band. (I later found out that they were quite critically acclaimed.) This is how Riff Raff used to operate and perhaps is one reason it is no longer in business.

The interview was at a hotel near Madame Tussaud's in London. I spoke to Bob Mould, David Barbe, and Malcolm Travis for around 50 minutes in an astounding interview performance that generated a veritable tsunami of 'y'knows' and other verbal tics.